株式会社ニックス
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Nikko-Rack (ニコラック)幾重ものアイデアと熱意の凝縮

ボックスからラックへ

プリント基板に高性能のICが載りはじめた1976年(昭和51)。大手通信機メーカーから依頼されて、当社は初めてプリント基板搬送用ボックスを製品化した。これが、当社が生産技術分野に関わるきっかけとなり、「Nikko-Rack(ニコラック)」開発への第一歩となった。
それから3年後の1979年、企画室室長の青木伸一と営業部長の西岡等は、ある家電メーカーとの商談からの帰り、クライアントの話をヒントに簡単にアジャストできる基板搬送用のラックができないか話し合った。
ラックはプリント基板の保管・搬送用冶具だが、主に生産現場で使用される。そば屋が出前のときに使う岡持の蓋を外したような形で、左右の壁(ガイドレール)にはたくさんのスリットが入っている。現場では、ラックを横に寝かせ、スリットの間に複数のプリント基板を垂直に差し込んで使う。
従来の金属製ラックは、持ち運ぶのには重すぎた。とはいえ電気を通さない樹脂では帯電しやすく、微量の静電気でICなどの素子が壊れてしまう。そのうえ強度の面でも問題があった。
青木室長から指示を受け、搬送用ボックス担当の営業部副長・松田保と開発部は、導電性があり、軽量で、さらにはアジャストできてコンパクトという付加価値を併せ持つラックの開発に取り組んだ。
軽量化を図るために、ナイロン樹脂製のガイドレールを使用することにし、さらに導電性を持たせるためにカーボンを混ぜた。また左右の壁にあたるガイドレールは大きな1枚板で製作せず、小さな数枚に分割し、それを組み立てる方法が採られた。これによってイニシャルコストの低減を図り、注文に応じてラックの大きさを変えることができるようになった。また設計常識から、簡単な金型で成形でき、しかも強度が得られる連結方法として、板金をプレス加工するハットプレート形状も採用した。
翌1980年、当社第1号のラック「アジャスト・Ⅰ」が完成。ナイロンにカーボンを入れた素材から黒光りする姿となった。

ラックからマガジンラックへ

1983年(昭和58)、大阪支店に転勤になって3年目を迎えた営業課長の松田保は、総合家電メーカーの京都工場から新しいラックの依頼を受けた。それは当時、プリント基板の組立工場で主流になっていた半導体などの自動挿入機に使うマガジンラックであった。
これまでに当社が手がけたラックはあくまで保管・搬送用であり、プリント基板を入れたまま自動挿入機に使用できるものではなかった。ロボット化された工場で使用されるマガジンラックには、高い精度が要求され、ディップ漕(ハンダ付け工程)を経た基板を収納するラックは加熱されることになるが、当然、樹脂の反りや歪みは許されなかった。
松田から依頼を受けた開発部の赤間豊彦らは、「アジャスト・Ⅰ」で培った技術をベースにマガジンラックの設計に入った。開発スタッフを最初に悩ませたのは許容される歪みの範囲が1ミリだったことである。樹脂の特性として、寸法どおりに金型をつくっても、射出成形した場合に微妙にサイズが違うものができる。これを考慮しなければならない。さらには金属と樹脂という異なる素材の組み合わせが、設計の難しさに拍車をかけた。
また、熱による樹脂の反りも大きな問題となった。さまざまな方法が試みられたが、完全に満足のいく方法は見つからない。
「樹脂に耐熱性の素材を入れては」
「いや、それでも130℃の高温下では反りを抑えられない」
ついには「アジャスト・Ⅰ」で採用したガイドレールの分割方法を試したところ、思わぬ効果を発揮した。1枚のガイドレールを小さくすることで温度上昇による「反り」や「歪み」を妨げることが分かったのである。さらに、ハットプレートとの隙間が熱による膨張・収縮を吸収することも判明した。
こうして1984年、「アジャスト・Ⅰ」の発展版である自動挿入機対応のベースを付けたマガジンラック「NKサート」が完成した。

マガジンラックの本格製造を迎えて

「アイデア次第で、マガジンラックはもっと売れるはず」
後発ながらもNKサートとSLラックで手応えをつかんでいた松田らは、新たなる製品開発を目指していた。テーマは「工具がなくてもアジャストできるタイプ」である。
これまでのものは、ガイドレール部分が上下4カ所ビス留めされていた。別のサイズのプリント基板を挿入するとき、工具を使ってビスを一度外して幅を調整し直さなければならない。これでは多種多様なプリント基板を扱う工場では時間のロスが大きい。この問題解決のために開発部の精鋭が再び招集された。
赤間らは松田の要求に意欲的に取り組んだ。4カ所のビスを手でゆるめてアジャストするタイプ、背面のハンドルを回すことでアジャストするタイプ、ベルトを使ってアジャストするタイプ……。次々とアイデアを出しては手作り試作が行われた。しかし、どれも十分に納得のいくものではなかった。
「そうだ、これがあった」
赤間の脳裏に、別の機構部品で採用していたラック&ピニオン機構がひらめいた。レールと歯車を使って上下4カ所を連動させれば、アジャストするときに可動板は平行移動する。これで1カ所動かすだけで全体を同時に動かすことができ、調整時間を大幅に短縮させることが可能となった。さらに可動板の固定にはワンタッチで操作ができるレバーロックを採用した。
こうして、ラックピニオン技術を使った、ワンタッチでアジャストできるマガジンラック「NKサートシリーズ」の試作品は、当社の技術の粋を集めて完成した。

展示会での出会いが道を拓く

1986年(昭和61)1月、松田は東京・晴海の国際展示場で開催された「インターネプコンショー」にいた。NKサートシリーズの試作をアピールするためである。
「面白いマガジンラックだね」
声をかけてきたのは、九州にある大手家電メーカーの系列会社で自動挿入機を製造している人物だった。思いもかけない大企業からの言葉に、松田の心は躍った。早速、サイズの違うプリント基板をそれぞれ収納して、簡単にアジャストできる様子を実演してみせた。相手の見入る様子に確かな手応えを感じた。
イベント終了後、大阪に戻った松田に声がかかった。展示会で熱心に話を聞いてくれたあのメーカーからだ。採用したいからすぐにも量産してほしいとのことだった。
松田は自分の考えが正しかったことを確信した。九州に飛んで打ち合わせをし、製品化に向けて試算した。ところが、金型など必要とされる費用は最低でも1000万円はかかることが分かった。
「将来的には絶対うちの主力になります。やらせてください」
松田は開発部門を統括する青木伸一専務に訴えた。企画室長としてマガジンラック開発の道を拓き、商品化に向けて積極的だった青木専務は、「値段が高い」と消極的な役員会を説き伏せた。NKサートの将来性を誰よりも確信していたのである。こうして製品化に向けてのGOサインは出された。
同年10月、社を挙げてのオリジナル商品「NKサートシリーズ」が完成した。翌1987年1月のインターネプコンショーでは、当社のブースは黒山の人だかりとなった。規定時間内にラックピニオン式の「NKサートシリーズ」をアジャストできれば景品をプレゼントする企画が大当たりしたのだ。
1989年には海外進出を果たした。1995年のアメリカの展示会でも評判は上々だった。「Nikko-Rack(ニッコー・ラック)」として出品されたマガジンラックだが、誰もが口々に「ニコラック」と言う。こうして商品名は「ニコラック」と改称された。
この「ニコラック」は販売台数が延べ30万台を超えるロングセラー商品となり、マガジンラックのスタンダードとしての地位が確立された。その販売は国内のみならず世界各国にも及び、遠くはブラジルや南アフリカまで輸出されている。

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