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マックスインジョイント常識を超える発想と実現への執念

新素材を使った新製品を目指して

1996年(平成8年)2月、R&Dセンター 市場開発室長の五十嵐治は、大手都市ガスメーカーの床暖房技術の責任者2名と打ち合わせを行っていた。
一般家庭の床下にパイプを通し、温水を流すことで床暖房を行う。打ち合わせは、この温水式床暖房の配管継手を金属から樹脂に変えようという内容だった。樹脂化によって低コスト、軽量化、扱いやすさなど、さまざまな利点が見込める。
すでに海外ではこの試みは行われていたが、高温の水に樹脂中の成分が溶け出してしまうこと、床暖房以外の用途を配慮すると通常の7倍もの水圧がかかるウォーターハンマー現象に対する不安、30年、50年という長期にわたる耐用年数への対応など、課題は山積みであった。
しかし五十嵐は「新しい樹脂が開発されつつあるから7、8割方は大丈夫。未知数の分はうちの技術をもってすれば必ず成功する」と考えていた。樹脂化に慎重な業界を承知の上でこう切り出した。
「金属製の継手を樹脂に置き換えましょう」
これに対して、都市ガスメーカー側から矢継ぎ早に質問が投げかけられた。
「床暖房は、住宅寿命と同じ30~50年以上も使うことになる。耐久性は問題ないのか?」
「どんな素材を候補として考えているのか?もし、PBTやPPS樹脂だったら、うちはやるつもりはない」
それは、樹脂を熟知した上での鋭い質問だった。五十嵐の額に冷や汗がにじみ出た。打ち合わせというより、五十嵐の知識と実力を問うものだった。
五十嵐は入社以来、開発畑を歩んでいた。とくに素材では、自他共に認める社内一の知識を持ち、NIXAM(NIX Advanced Materials =株式会社ニックスの優位性のある材料)部門を担当していた。そうした自信が、温水に強い樹脂素材ができつつあること、当社が自動車の燃料系コネクタの樹脂化を手がけていること、また、海外でのトラブル事例などを含めて事前に情報を入手していたことなど、一つ一つの質問に丁寧かつクリアな回答となって表れていた。
「うちが実現させます。是非やらせてください。」
五十嵐の熱意が「樹脂製配管継手」開発の扉を開けた。それは名刺交換してからわずか2時間30分後のことであった。

前例のない開発に着手

ついに開発がはじまった。1996年7月、平井充は五十嵐に呼ばれた。平井は新入社員研修を終了し、R&Dセンターの設計部門に配属されたばかりだった。
「実は、金属継手を樹脂化する話があるんだが、君にやってもらおうと思う」
突然の五十嵐の話に平井は驚いた。何も言葉が出ない。経験のない自分が、一人前の設計者としてやっていけるか不安だった。
文字通り、二人三脚の開発がはじまった。「金属から樹脂へ」という大まかなテーマは与えられていたが、まだ温水用の樹脂製継手の成功例はない。金属と同じ形状でいいのか、管の厚みはどの程度にすればいいのか、すべては手探りだった。
材料選定と評価、幾度となくこの繰り返しが続いた。平井は早朝から深夜までCADと向かい合った。クライアントとの打ち合わせも何度となく行われた。試作品ができても、強度試験などの評価が悪ければ、また一からやり直しとなる。さらに商品としての施工性を見極めるため、何度も五十嵐と一緒に床下に潜って作業性の確認も行った。
「可能性は十分ある。後はどれだけ頑張れるか、それだけの問題だ」
五十嵐はそう言って平井を励ました。そこにはものづくりに対する情熱と執念があった。こうした地道な努力が部品の完成度を上げていった。

この開発は、試作品を提示するときに添付した試験レポートでも、信頼を裏づける上で大きな効果を発揮した。レポートは試作品の再現性のためには必須であるが、営業の説明を補うツールとしても役立った。平井が作成したレポートは、添付資料も合わせると厚さ5cmのA4判ファイルで12冊分にもなる膨大なものになった。(写真は平井が作成したレポートの一部)

最初のレポートは、五十嵐の添削で真っ赤になった。「これじゃあ駄目だ。ロジックがつながらない。自分の言葉で書いて持ってこい」と五十嵐から容赦のない言葉が飛んだ。何度直しても突き返された。平井は過去の事例と首っ引きになって取り組んだ。クライアントへ試作品を提供する当日の朝、深夜までかかって書き上げたレポートを五十嵐宅の郵便受けに投函することもたびたびあった。
こうして半年後、低コストでクイック付け替え可能な付加価値のついた樹脂製継手(特殊PPS樹脂)は完成した。

ラインナップをそろえ、自社ブランド化

開発された樹脂製継手は、この業界で世界的に著名なスウェーデンの企業、スタズビック社(現・ボディーコート社)に長期評価を依頼し、同時に社内の評価試験もスタートした。温水と冷水による繰り返し評価や、繰り返し挿入試験など、さまざまな利用環境が想定された。スタズビック社の評価では「102℃で50年程度の使用が可能」と予測され、クライアントの評価も良好であった。樹脂製継手は実現に向けて大きく前進した。
1997年(平成9年)12月、1年10か月の時を経て、市場に向けての生産が始まった。
この樹脂製継手を基に、当社オリジナル品を立ち上げることになったのは2000年のことである。五十嵐は、「発売するからには、豊富なラインナップとその商品を総称するブランドが必要だ」と考えていた。
「スナップジョイント」ではシリーズ化の総称にならない。親しみやすい名称として「継手くん」も候補に挙がった。しかしNIXAM素材のよさを生かしたジョイントだということを強調したかった。そんな時、ふとNIXAMの文字を反対から読んでみた。
「そうか!MAX-IN(マックスイン)だ!」
その名前は五十嵐の耳に頼もしく響いた。「マックスインジョイント」ブランドが誕生した瞬間であった。
こうして配管施工のあらゆる現場で利用できる継手の設計が進められた。単に樹脂化するだけでなく、その特性を生かして、作業性向上に配慮した工夫も盛り込まれることとなった。
2001年(平成13年)7月、7タイプ、29アイテムの「マックスインジョイント」シリーズは、ラインナップを記したカタログと共に完成した。7月26日には、施工業者を中心に同製品の機能をアピールするためのプライベートセミナーが行われ、参加者は100名に達した。ここから、国内はもちろん海外をも含めた「マックスインジョイント」の果敢な挑戦が始まったのである。

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